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弊社が誕生したのは1941年6月。そのわずか数ヶ月後、日本機動部隊がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発したのでした。
日本全体が飢え、原材料の調達もおぼつかない食糧難の戦時下、やむなく缶詰業を一時休止し、軍糧秣省の監督工場となり、味噌・米飯・野菜等の携帯追送糧秣を製造していました。
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終戦後の昭和23年、念願であった果実缶詰の製造を再開することができました。その後、海外への輸出、協力工場との提携など精力的に企業規模の拡大を図り、今日の会社の礎を築いていきました。
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封建的な農地の大地主制度が廃止され、耕作者に農地が解放されていった昭和20年代、「農家の方に、私どもの缶詰生産のための桃を栽培していただこう」と、創業者・三枝利光が、福島県北地方の農家に桃の苗木を配ったことが契約栽培のはじまりでした。
昭和40年代には、契約農家をサンヨー缶詰特約組合連合会として組織化、「果実の詰め方講習会」や「熟度の見方統一会」などの研修が継続的に行われています。
缶詰に使用できる高品質の果実を見極める「検収」は、特約組合連合会から持ち回りで選ばれた検収員によって行われることとなりました。
これはつまり、お互いが生産者である生産農家が、お互いに検査し選考するということ。プロとしての選択眼と緊張感によって、企業側の利害感情や不公平を排し、公正に品質が見極められていきます。
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ライフスタイルの多様化による消費者ニーズに対応するべく、従来の缶素材以外の、プラスチック成形容器、レトルトパウチ等の新容器用設備を瀬上工場に導入しました。同時に、ハウス食品株式会社、モランボン株式会社、株式会社榮太樓總本鋪など大手各社と取引を開始、缶詰以外の容器を用いた食品の開発と製造に積極的に取り組み始めました。
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平成17年には、国内初「中身が見える缶詰(PP多層ボトル)」を製造し、大きな反響を呼びました。また「西洋梨ゼリー」が日本缶詰協会レトルト食品品評会の最高賞である農林水産大臣賞を受賞しました。
平成23年には会社創立70周年を迎え、社員一同さらなる奮起を誓いました。
サンヨー缶詰はこれからも原料から製品まで検査体制を徹底し、お客様に喜んで頂ける製品を提供し続けます。
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